Profile

 

うにのプロフィール

 
九州の某所にて長距離トラックのドライバーをやっている40代の
 
デブい中年のおっさん
 
1日のほとんどの時間を運転に費やすという恐ろしい職業に就いて10数年
 
日々の生活に疲れきっていたある日
 
突然、一人で海外にフラっと行ってみた事で人生観が大きく変わる
 
が、それは後ほど
 

自由気ままに生きてきた

俺は幼少期からずっと今やりたいことだけをやってきた

小学4年生から高校3年生までサッカー部に所属しサッカーに熱中した

社会人になってもサッカーやフットサルを細々と続けてきた

そこそこ上手かった。

そこそこね。

(今でもサッカーは好きだし、TVやAbemaTVなどで海外サッカーは見ている)

 

18歳で車の免許を取った

が、5ヶ月で免許取り消しになる(スピード違反2回で)

20歳で2回目の普通免許を取得すると

周りの友達の影響でドリフトを始める

AE86レビン(前期クーペ) → AE86レビン(後期ハッチバック) → C33ローレル 

と乗り継ぐ

当時の三井三池オートスポーツランド(福岡)、オートポリス(大分)、セキアサーキット(熊本) をよく走っていた。

そこそこ上手かったと思う。

そこそこね。

 

詳しくはこちらの記事で書いてます。

 

2002年のサッカーW杯日韓大会後

友人と3人で島根県に移住した

友人と3人で島根県に移住したのをきっかけにスノーボードにのめり込む

(友人が抽選で決勝のチケットを手に入れ仕事も辞めて観戦に行った事で、W杯後無職になった為)

島根では派遣社員としてIT関係の工場で働いていたが

スノーボードのショップでたまたま見つけて買った

FORUMのThe Resistanceというビデオを見たことをきっかけに 仕事も辞め

職業訓練校に通い(出席だけ取って)失業保険を貰いながら毎日スキー場へ行く

キッカーを飛んでは叩き付けられ、レールには洗濯物のように干されながら痛い日々を過ごす

あまり上手くならなかった。

人生で初めて挫折した感じがするが

友人たちとワイワイとフィルミングし編集してDVDにしたり毎日楽しかった。

 

詳しくはこちらの記事

 

当然、職業訓練校は卒業できず何の資格も無いまま自力で就活する羽目に合う

週休二日という条件だけで運送会社のリフトマンの面接受け、受かる

出勤初日の新入社員説明の時に大型免許を持っているという理由だけで

急遽大型トラックのドライバーになる羽目になる

 

長距離トラックのドライバーへ

 

不本意ながらトラックドライバーになってしまったが、割と性に合った

最初は先輩社員の助手席で寝ているだけで収入を得るという好条件だった

1ヵ月後に1人で運転を始めて気付く「これはツライ」と

しかし、恐ろしいものですぐに慣れてしまい初めて行く土地を割りと楽しみ出す始末。

ところが、仕事を舐め出した5年目に事故を起こす

幸いたいした事故ではなかったが、この仕事に不安を覚えた

 

居酒屋で働く事に

 

事故を起こしたのと同時期に小さいころからの友人が居酒屋を始めるとの事で誘われる

友人の居酒屋で働く為、仕事を辞め地元の九州に帰る

しかしこれが今までに経験した事ないほど大変で

同時に結婚したこともあり、物凄いストレスで全身に発疹が出る

収入面やストレスでまたトラックドライバーに戻る事になった

 

2回目の長距離トラックのドライバーへ

 

ハローワークのドライバー求人の上から順番に面接を受ける事にした

1番目の会社の面接で即採用される 実はこの就職をきっかけに地獄のような労働が始まる

1週間に1日しか家に帰れず、手積み手卸の仕事が実に多く物凄く辛かった

1年後離婚した 離婚後は1週間のうち1日も帰れないという恐ろしいことが起きだした

8月に離婚して、初めて休んだのが年明けの1月2日だった

そして3日連休を挟んで3月31日にまで休みなしで働いて退職した (あはは

退職してすぐ韓国へ行った 疲れ果てた日本での生活から逃げたかったのかもしれないし

楽しい事が一切なかったストレスがあったのかもしれない

しかし

何故だかわからないが全然楽しくなく、外国感ゼロのソウルで明洞をひたすら歩き回り

疲れ切った状態で夕方ソウルタワーへ行ったが、「営業時間終わるけど」と言われたが

チケットを買いロープウェイの乗った

当然タワーには上れずすぐに帰って寝た

初めて行く海外ながら全く楽しめず失意のまま帰国した

 

3社目の運送会社へ

 

先に退社した先輩の誘いで3社目の運送会社に就職することに

休みが確実にあるという条件の下で就職したが、ここの会社(現在も)は仕事内容も待遇の面でも天国だった。

俺が就職した時はまだ会社も小さく、トラックの台数も30台ほどで人も良い人ばかりだった

自由で仕事も楽しかった

九州から東北まで、自由に色々な道を走った(現在も月2万kmペースで走っている)

この頃が仕事としては1番楽しかったかもしれない

 

ふとなんとなく...

 

ところが、会社もだんだんと大きくなりトラックの台数も増えてきて

人間性も変なやつが入社してきたり、仕事の内容も悪くなりつつあったりで

仕事が楽しくなくなってきたある日

住所だけを頼りに海外にも行けるのだろうかとふと思ったことがあって

なんとなくDeNAで航空券を買ってみた

ホテルも予約してみた

 

そして海外へ

 

行き先は中学の先輩が仕事でよく行っているというタイにした

思いつきと勢いでチケットを買ったのはいいが

全くのノープランだった為か不安からか、出発数日前から行くのを辞めようかと思い始める

がしかし、お金も勿体無いしとか色々考えて腹をくくる

それでも、出発当日の空港までの道のりは嫌々感が半端なかったし

空港のチケットカウンターまでは足が重たかった記憶がある

 

詳しくは初の海外一人旅 #1何となく

2回目の一人旅からの二人旅inマカオとタイ

から読んでみてください

 

海外一人旅で人生を見つめ直すことに

 

2社目の運送会社で働いていた時

愛知県の蒲郡市の国道1号線沿いのコンビニで仮眠を取ろうとしていた時に

WeChatに一通のメッセージが来た。

当時豊橋市に住んでいた王欢という中国人の女性からだった

日本で働いてる事や色々と他愛も無い会話をし、それから仲良くなった

これが初の外国人の友達だった

そして一人旅で中国の成都を経由する事になって、そんな会話をしてた時

知り合いがいるから紹介するという それが成都でお世話になった「夏さん」だ

初めて行く中国で初めて会う夏さん。

不安しかなかったが、とても良くしてくれた。

感謝しかない (王欢、夏さんをはじめタイ人の友人も出来、今も連絡は取っている)

 

予想以上に経済発展していたタイのバンコク

街には多くの欧米人がいて、とても国際色が強く

活気がありつつ、タイ人も穏やかでスローな生活を送ってるように見え

日本の忙しい生活しか知らなかった俺にはとても衝撃的だったし

単純に憧れた。

 

裏路地とか歩いたらトラブルが起きるのか、もしかしたら殺されたりするのかとか思いつつ

夜真っ暗な路地を歩いてみたりしたが、当然何も起きなかった(わら

小さいトラブルはあったものの、無事帰って来れた。

俺の中で何かが大きく変わった気がした

 

 

帰国後、何かが大きく変わった俺は

 

もっと海外の色々なところに行ってみたいとか

英語を話せるようになりたい、英会話を習ってみようかとも思ったが

普通に生の英会話をした方が効率がいいし、その方が必死になるなとか考えたり

日本を出たいとすら思うようになったし

どうすれば日本から出れるのか? 仕事は? 収入は?

そんな事ばかり考えるようになっていた

平行して毎年年末年始にはタイを中心に海外に行っている

 

 

日本脱出と末端労働者から抜け出す為に

 

海外で生活するという壮大な目標を掲げ

ネットでいろいろなブログや記事を読みまくった

何かを本質的に調べたり検索したのは初めてかもしれない

「アフィリエイト」 や 「為替FX」 や 「暗号通貨投資」

どこにいても出来そうで、もしかするとかなりの収益を上げれるかもしれない

そんな、甘い考えながらも割りと真剣に探した

FXの口座はすぐにいくつも開設したし、デモで取引もした

本も何冊か買って、テクニカルの勉強もしたが そんな甘いものではなく、知識と経験が必要だと思い入金はしなかった

(そもそも種銭が少ないとあまり収益は上がらないし)

暗号(仮想)通貨の取引所もすぐに開設した

これはテクニカルよりもファンダの方が重要ではないのかと考え

ネットで調べまくった(周辺の人でやってる人はひとりもいなかったので)

2017年10月31日にコインチェックで取引を始めた

年末までは順調に上がって行き、年末年始のタイでチャートを見ていた時はもしかするとと期待した (わら

その後、XEMのハッキングからの大暴落したのだが (あはは

しかしながら、暗号(仮想)通貨はまだ将来的には期待しているので保有しているし

小額ながら買い増しを続けている 暗号(仮想)通貨が長らくレンジから(大きく)抜けず、気配すらないように見えていて

他にも収益を上げるというか、収入を得る為にネットを彷徨った結果

ブログアフィリエイトに辿り着いた それがブログを始めた直接的な要因です

ホリエモンの

「多動力」「ゼロ」「後悔しない生き方」「属さない勇気」

その他

「すぐやる人」と「やれない人」の習慣 「君たちはどう生きるか」 や 

「お金2.0」 などを読んだのも大いに影響を受けて行動を起こしたくなった

 

 

更に先走りは止まらず

 

また、まだ全然何も始まっても無いのに

海外の不動産投資とか海外銀行の口座開設とか

更にはタイのタイランドエリートカードタイランドイージーアクセス

マレーシアのMM2HやフィリピンのSRRV なども調べる始末 (わははは

 

英語との関わり

 

スノーボードにのめりこんでいた時に

HTB(北海道テレビ)の「NO MATTER BOARD」という番組を毎週欠かさず見てた

そこで初めて聞いたELLEGARDENのsupernovaという曲が流れた。

これに衝撃を受けた

海外のバンドだと思ったら日本人だったからだ

ここからELLEGARDENにハマリ、細美武士にハマリ、英語詩の曲にハマッた

それ以来、日本語詩の曲をあまり聴かないようになった

(ELLEGARDEN , the HIATUS , MONOEYES 最近ではONE OK ROCK とか聴いてます)

中学や高校であまり興味を持てなかった英語に興味を持ち出したのは実はここからだった様に思う

 

 

最終的な目標として

 

海外で外国人の友人を作り 時間に縛られる事なくスローな生活を送りつつ

経験や情報を発信しながら

色々なアクティビティを楽しんだりしながら

細美武士がよく言う「明日の事は明日考えよっか

な感じで生きていきたいと思っている

理想を言えば、今の俺のような仕事に追われ、お金に追われ、時間に追われ

人生を諦めかけている底辺の末端労働者の人たちに もっと楽しい生き方があるというのを

身を持って伝えていければ最高だ

その為に諦める訳にはいかないのだ (がはは

 

最近ベトナム在住の日本語教師を目指しているベトナム人に オンラインで日本語を教えているのだが

(教えてるレベルではないが)

テキストの問題とか見せてもらったのだが

日本人ですら、いつ使うの?って感じの敬語とか教わるんですね

実用的ではない印象を受けました

もう敬語とか無くしてしまえばいいのにって感じです

 

詳しくはこちらの記事で

 

 

ちなみに

「うに」の由来は

スノーボードのトップブランドである「BURTON」のun..incという板の名前で コンセプトが確か「uninc= どこにも属さない」みたいな事で、 それが当時から気に入ってるので。

そこから貰ったunincという名前を、昔オンラインのMMORPGゲームをやっている時に使ったら

uninc = うにんく= うに と呼ばれた事がきっかけだ

2018年5月11日のアナザースカイでホリエモンがバンコクのRCAでカートに乗っていたが

あれは俺も毎年行きたいと思っているし(俺のタイムが1ヶ月しかランクインしてなかったのが悔しくて)

ウェイクボードも楽しそうだと思った(調べたら年末年始は空きが無かった)

 
 
同じような境遇、環境、思考の方、仲良くして下さい
ブロガーの方、トレーダーの方、色々アドバイス下さい。
 
よろしくお願いします。
 
 
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